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高松家庭裁判所 昭和63年(家)178号 審判 1989年2月13日

申立人 伊藤哲男

主文

申立人からの、被相続人伊藤信一の相続を放棄する旨の申述を受理する。

理由

(申立ての事情)

1  申立人の父伊藤信一(以下、被相続人という。)は、昭和60年12月30日死亡したが、被相続人には、亡河村緑(以下、申立人の母緑という。)との間に出生した申立人のほか、被相続人の妻伊藤キミエ(以下、キミエという。)と、その妻との間に生まれた長男雄造、二女久子(現姓、東)があり、申立人を除く、これらの3名は、昭和62年8月7日、高松家庭裁判所に対し、相続放棄申述受理の申立てをなし、同家庭裁判所において、昭和62年9月9日、これが受理された。

2  申立人は、昭和62年6月12日、○○県信用保証協会から、被相続人が連帯保証した債務の支払いを、相続人として支払い請求を受けるに至り、そこで、初めて、被相続人に多額の債務が存在し、これを相続していることを知つた。

3  しかし、共同相続関係にあつた申立人以外の上記3名が、相続放棄をしていることを知つたのは、上記訴訟が提起され、昭和62年12月16日の口頭弁論期日において、原告から準備書面の副本を受けてのことで、同時に、保証債務額が元利合計で約3、000万円に達していることを知つた。そこで、申立人は、主文と同旨の審判を求めて、本件申立てに及んだものである。

(当裁判所の判断)

1  本件記録によると、被相続人が、昭和60年12月30日に死亡したこと、及び、申立人の本件申立てが、昭和63年2月20日、高松家庭裁判所に対してなさされたことが認められるので、本件申立てが被相続人の死亡後,すでに、法定期間である3か月を経過していることは明らかである。

2  本件記録、ことに家庭裁判所調査官○○○○作成の調査報告書、本件と関連する当庁昭和63年(家)第721号、第722号、第723号相続放棄の申述受理申立事件記録によると、次のような事実が認められる。

(1)  軍人であつた被相続人は、昭和18年6月26日、妻キミエと婚姻し、終戦により、復員した後、○○県農業協同組合の職員として勤務し、平穏な家庭生活が続いていたが、間もなく女性関係を生じ、家庭を顧みないようになり、女性間を巡歴し、昭和32、3年ごろ、情交関係に陥つた申立人の母河村緑(昭和61年2月4日死亡)と同棲生活をするようになり、同女との間に、非嫡出子として出生したのが申立人である(昭和52年11月16日に認知された)。

(2)  申立人は、被相続人の死亡まで、○○市内で、母緑とともに、被相続人と生活をともにしており、被相続人の本家(実家)とは絶縁同様の状態となつていたところから、被相続人の妻キミエ親子とは交渉がなく、そこで、被相続人の葬儀の一切も、申立人方で執行した事情もあつて、被相続人の死亡と同時に、申立人が相続人のうちの1人であることを了知していた。

(3)  しかし、肩書住所地にある申立人の現住家屋と宅地は、被相続人が負債整理のため、昭和58年3月10日他へ売却し、その後、金融機関、金融業者等から残債務ありとして支払いの請求を受けたことも全くなかつたので、債務の一切は、すでに始末が終つているものと考え、昭和61年4月21日、勤務先共済組合、銀行ローン等の併用融資を受け、自力で現住家屋と宅地を買戻して、取得したものである。

(4)  ところが、昭和62年7月17日、申立人は、高松地方裁判所から、求償金請求事件(同年(ワ)第242号、原告○○県信用保証協会、被告株式会社○○○○ほか7名)について、特別送達による訴状副本及び口頭弁論期日の呼出状を受け取り、ここで、被相続人に債務のあることを知つたが、当時は、共同相続関係(同順位)にある他の相続人と、それぞれ法定相続分の割合いによる支払いを求められる請求額であつた。

(5)  ところが、申立人は、昭和62年12月16日の口頭弁論期日に、原告から受領した準備書面の副本を見て、申立人と共同相続関係にあつたその余の相続人が、相続放棄をなし、その結果、申立人1人の単独相続になつたとして、被相続人の債務全額が請求(請求の趣旨の拡張)されていることを知つた。

なお、共同相続人間には、それぞれのおかれていた生活状況から、申立人と他の共同相続人の間には、相互に交渉がなかつた。

3  ところで、民法第915条の「自己のために相続の開始があつたことを知つた時」とは、相続人がその原因たる事実の発生とともに、これがため自己が相続人となつたことを覚知することに、加えて、少なくとも積極財産の一部または消極財産の存在を確知することを要するものと解すべきであると考えられるので、これを本件について考究すると、被相続人の債務が多額であるだけに、申立人と同順位で相続人となるべき者が、相続放棄をした結果、申立人が負担することとなる被相続人の債務額に変動(拡張)を生ずる場合には、申立人に対する被相続人の債務額として具体的数額が顕示され、確知することとなつたとき、すなわち、前記準備書面の副本を受け取つて、ここで、初めて相続により債務の承継を知つたものというべきであるから、申立人が自己のために相続の開始があつたことを知つたのは、前記のような認定事実のもとにおいては、昭和62年12月16日とするのが相当であり、本件申立ては、その時点から起算して、民法所定の3か月以内になされたものというべきであるから、これを適法なものとして取り扱うべきものと解する。

加えるに、本件申立てが、申立人の相続を放棄する旨の意思表示は、真意に基づくものと認められるから、本件申立ては、これを受理するのが相当である。

よつて、主文のとおり審判する。

(家事審判官 野口頼夫)

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